今回は私の体験談を書かせていただきます。
※ここから先は稽留流産の手術を行った日のことを赤裸々に書いています。気分を害す方は読むのを控えてください。
そもそも稽留流産とはなにか。その名の通り、「流産」の一種です。
Googleなどで検索するとトップに出てくる日本産科婦人科学会のHPによると
胎児は死亡しているが、まだ、出血・腹痛などの症状がない場合。自覚症状がないため、医療機関の診察で初めて確認されます。治療として、入院して子宮内容除去手術を行う場合と、外来で経過を見て自然排出を期待する場合があります。
と定義されています。
私達はタイミング法を利用し2023年の1月に本格的に妊活を始めて約7ヶ月で1回目の妊娠が判明しました。
タイミング法とは
簡単に言うと産婦人科で排卵の時期を予測し最も妊娠しやすいタイミングを予想して、その周辺の時期に性交渉を行う方法です。
妻は毎週のように産婦人科に通っていたのもあり2人で喜んでました!妊娠検査薬をトイレで二人で見ながら抱き合ったのを鮮明に覚えています。
しかし喜んだのも束の間、2週間ほど経って産婦人科にいった妻から
胎嚢は確認できたけど胎児が見えず胎動もない
とLINEが送られてきました。なんと返したらいいか分からなくなり、自宅に帰ってきてから2人で慰めあいました。
その後、産婦人科の方と相談し胎嚢を取り除く手術を行うことにしなりました。
手術当日の話
それが9月頃の話です。日帰り入院とのことで平日の朝に妻は病院に向かい手術を受けることになります。私も付き添うつもりでしたが妻から「行きは一人で大丈夫。帰りに迎えに来てほしい」とのことで自宅で仕事をしておりました。
当初の予定では10時頃に手術をして夕方まで安静にしていれば退院できるという話でしたが手術のスタートが遅れ、妻は食事をするタイミングがなかったようです。
もともと病院の近くでタクシーを呼ぼうとも考えていましたが食事を取れなかったことから病院の近くで腹ごしらえをしてからタクシー帰ればいいと思っていました。
手術が終わり、夕方に病院に迎えに行くも流産の手術のあとになんと声をかけたらいいか分からず少し変な雰囲気でした。
近くで何か食べて帰る?
お腹は空いているけど、そのまま帰りたい
私の想定は外れ、そのまま二人で歩きながら帰ることに。途中でタクシーを拾えればいいと思いながら歩いて自宅の方向に向かうもなかなかタクシーは見つからず。
結局、20分近く歩いて自宅に帰ることになりました。
このときの私は妻の手術の状況や体のことを十分理解できておらず、後で喧嘩することになります。
自宅に到着するも不穏な空気は変わらず、妻は術後安静にしていたほうがよいと思った私は前日のおかずの残りを妻用に残しておき、一人で夕食を外で食べることにしました。(不穏な空気に耐えられなかったという思いもありました)
手術当日の夜
私たち夫婦は一緒の布団で普段から寝ており、このまま寝ようとしたそのときに妻から
何か私にかける言葉は無いの?
「手術頑張ったね」とか「お疲れ様」の一言も無いの!?
と突然声をかけられました。その言葉に続いて
二人の子だよ!?その二人の子の命を下ろして何も思わないの!?
病室では別の部屋からうっすらと産声が聞こえる中、自分は流産の手術をしたんだよ!?
どんな気持ちかわかる!?
と重い一言を告げられ何も返す言葉がありませんでした。
私自身、稽留流産が何かというのは知っていましたがどんな状況で手術を行うかは勉強不足でした。そんな悲惨な状況のなか手術を行っていた(病院によるとは思いますが)とは全然分からず想像しただけで涙がでてきました。
その日の夜は2人で号泣し、次の妊活に向けてまた頑張ろうと心に決めた日でした。
まとめ
稽留流産の手術のリアルについて書いてある記事はあまり無かったと思います。
もし同じ状況になったパパには私のような失敗をしないために、
・手術後に歩いて帰らなくてすむようにする(自家用車で迎えに行くかタクシーを予約しておく)
・声はかけにくい雰囲気だと思いますが奥さんに一言労いの言葉をかけてください。
お疲れ様と一言かけるだけでもいいと思います。
・奥さんが好きな食べ物や甘いものを用意しておいてください。
それだけでも少し気が楽になるはずです。
そうすれば私のような過ちを犯さなくて済むはずです。このような困難は夫婦で超えていくものです。人生で経験する人も少ないからこそ体験が生きるはずなので困っているパパはぜひ参考にしてください。
以上、クッパパでした。
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